MENUCLOSE

島原市の地形・自然・歴史

中央に雲仙・普賢岳をいただき、島原市・雲仙市・南島原市からなる島原半島。島原市はその東北部に位置する。いたる所に湧き出す清水、飲んで良し、入って良しの島原温泉、穏やかな有明の海に目をやれば、波間を彩る九十九島。これらすべてが山の恵みであり、人々は古来より火山とともに生きてきた。雄大な山並みを背景に広がるのは、武家屋敷やキリシタンの足跡が残る城下町。山を訪ね、町を歩けば、大地の息吹と歴史の面影が感じられるだろう。

地形

希少な自然体系を知る

雲仙火山の活動により、島原半島は生まれた。約50万年前、大規模な活動が起きた際、東西約20km、南北約25kmに積もった溶岩と火山灰がその基盤である。有史以来4度の噴火が記録され、寛永4年(1792)には「島原大変」と呼ばれる大規模な地殻変動時に3度目の噴火を起こし、火山群のいちばん東にある眉山が崩壊。大量の土砂が流れて海岸線を最大800m広げ、海に落ちた土砂はやがて数々の小島になった。これが今では生い茂る松が美しい九十九島だ。

島原には長い年月をかけて形成された大地の歩み、希少な地形を伝えるところが随所にある。半島南部に残る約430万年前に噴出した岩石の一つ、早崎玄武岩、崩壊により連なる屏風のような眉山の絶壁、記憶に新しい平成2年の普賢岳噴火により生まれた平成新山などはその代表的なものだ。雲仙岳周辺には長い年月をかけて形成された水はけのよいなだらかな斜面が広がり、その地形と地質を生かした農業が盛んだ。また市中を流れる川や湧水、湧き出す温泉などは火山活動の恩恵の一つ。こうした特徴から、島原半島は日本第一号の世界ジオパーク(※)に認定されている。

ジオパークってなに?

地球の歴史を学べる野外博物館。地形や地層に加え、その恵みを受けた人々の暮らしや歴史も併せた一種のテーマパークのような存在。 》島原半島ジオパーク 公式サイトはこちら

自然

豊かな山の恵みを味わう

春から初夏にかけてはミヤマキリシマの群生、秋には燃えるように日に映える紅葉、冬になると雪化粧した姿を見せる雲仙・普賢岳。四季の移ろいが目を楽しませてくれる一方で、数々の湧水や温泉は心と体を癒してくれる。

眉山を崩壊させた地殻変動は、豊かな地下水を市中に湧き出させた。約60カ所の湧水ポイントが点在し、湧水量は全体で1日22万トンを誇る。島原市が「水の都」と呼ばれるゆえんだ。この湧水をめぐるまち歩きは、島原観光の楽しみの一つ。一夜にしてできたと言われる「白土湖」、大小3つの池と多彩な植栽が美しい「伊東氏庭園(四明荘)」、「鯉の泳ぐまち」と呼ばれる新町の鯉を放流した水路、現在も生活用水として利用されている「浜の川湧水」、昔の面影を残す「武家屋敷の水路」などは湧水めぐりにおすすめスポットだ。

半島は温泉の宝庫でもある。島原温泉は肌に優しいぬる湯で、昔からけがややけどのほか、飲めば胃や肝臓の病によいと言われ重宝されている。市内の宿泊施設や立ち寄り湯「ゆとろぎの湯」などで堪能することができる。北部の有明温泉「美人の湯」は、平成15年に湧き出した新しい湯の里だ。よく温まると評判で、温泉施設には足湯やうで湯もあり、気軽に立ち寄り湯を楽しめる。

歴史

城下町の歴史を感じる

城下町・島原の歴史は、元和4年(1618)から松倉豊後守重政が7年の歳月をかけて島原城を築いた頃に始まる。城下町のシンボルである城は、五層の天守閣がそびえる本丸を中心に、約4kmにわたって矢狭間(やざま)をもつ塀で取り囲んだ、四万石の大名としては過分ともいえる立派なものだった。島原の乱で一揆軍の猛攻をしのぎ、島原大変時の地震や津波にも耐えてきたが、明治維新を機に解体。現在の城は、昭和39年(1964)に市民の熱意により復元されたもの。島原はキリシタン文化が栄えた地でもあり、天守閣には島原の乱をはじめ数多くの資料も展示。また、城下に残る武家屋敷や下の丁通りを流れる水路などは、往時のままの面影をとどめている。

島原城大手門御前前から半島を一周する島原街道は、参勤交代や領内巡視の藩主、旅人が多く行き交った。往還(殿様道)と呼ばれる街道は、今も石畳をところどころに残し、昔の面影を見ることができる。幕末には坂本龍馬や吉田松陰らも通ったとか。道をたどり、維新の志士達の活躍に思いをはせるのも趣がある。