島原市の地形・自然・歴史
地形
希少な自然体系を知る
雲仙火山の活動により、島原半島は生まれた。約50万年前、大規模な活動が起きた際、東西約20km、南北約25kmに積もった溶岩と火山灰がその基盤である。有史以来4度の噴火が記録され、寛永4年(1792)には「島原大変」と呼ばれる大規模な地殻変動時に3度目の噴火を起こし、火山群のいちばん東にある眉山が崩壊。大量の土砂が流れて海岸線を最大800m広げ、海に落ちた土砂はやがて数々の小島になった。これが今では生い茂る松が美しい九十九島だ。
※ジオパークってなに?
地球の歴史を学べる野外博物館。地形や地層に加え、その恵みを受けた人々の暮らしや歴史も併せた一種のテーマパークのような存在。 》島原半島ジオパーク 公式サイトはこちら
自然
豊かな山の恵みを味わう
春から初夏にかけてはミヤマキリシマの群生、秋には燃えるように日に映える紅葉、冬になると雪化粧した姿を見せる雲仙・普賢岳。四季の移ろいが目を楽しませてくれる一方で、数々の湧水や温泉は心と体を癒してくれる。
眉山を崩壊させた地殻変動は、豊かな地下水を市中に湧き出させた。約60カ所の湧水ポイントが点在し、湧水量は全体で1日22万トンを誇る。島原市が「水の都」と呼ばれるゆえんだ。この湧水をめぐるまち歩きは、島原観光の楽しみの一つ。一夜にしてできたと言われる「白土湖」、大小3つの池と多彩な植栽が美しい「伊東氏庭園(四明荘)」、「鯉の泳ぐまち」と呼ばれる新町の鯉を放流した水路、現在も生活用水として利用されている「浜の川湧水」、昔の面影を残す「武家屋敷の水路」などは湧水めぐりにおすすめスポットだ。
歴史
城下町の歴史を感じる
城下町・島原の歴史は、元和4年(1618)から松倉豊後守重政が7年の歳月をかけて島原城を築いた頃に始まる。城下町のシンボルである城は、五層の天守閣がそびえる本丸を中心に、約4kmにわたって矢狭間(やざま)をもつ塀で取り囲んだ、四万石の大名としては過分ともいえる立派なものだった。島原の乱で一揆軍の猛攻をしのぎ、島原大変時の地震や津波にも耐えてきたが、明治維新を機に解体。現在の城は、昭和39年(1964)に市民の熱意により復元されたもの。島原はキリシタン文化が栄えた地でもあり、天守閣には島原の乱をはじめ数多くの資料も展示。また、城下に残る武家屋敷や下の丁通りを流れる水路などは、往時のままの面影をとどめている。
島原城大手門御前前から半島を一周する島原街道は、参勤交代や領内巡視の藩主、旅人が多く行き交った。往還(殿様道)と呼ばれる街道は、今も石畳をところどころに残し、昔の面影を見ることができる。幕末には坂本龍馬や吉田松陰らも通ったとか。道をたどり、維新の志士達の活躍に思いをはせるのも趣がある。